私の性格の根本
2004年10月2日私は母親の背中を見てずっと育ってきた。
母親は私の尊敬する人。
そして顔がそっくりな私。
わがままで気が強い所もそっくりな私。
私の母親は芸術家。
女であり、妻であり、親であり、
そして自分の夢さえ実現させてしまう強力な女。
結婚した後、私の幼稚園の送り迎えの間に
暇つぶしのつもりと始めた趣味が高じて本気になり
10年経った頃プロになった。
全国的に知られてるプロではないけど、
常連さんは少なからずいて、
すごく儲かってる訳ではないけど、
発注は常に途切れなくて休む暇がないほど。
でも今の成功という結果は、
父の考えられない程の大きな協力が
なくちゃできなかった事。
私はそんな母親の背中を見て育った。
いつもパワフルな母親。
40代で若い子に混じって学校に通った母親。
学校から帰ると台所にいる母親ではなく
汚い作業場で一生懸命動いてる母親を見て育った。
プロとしての顔を見せつつも
夕飯時にはちゃんと母親の顔に戻っている。
そして母親に小さい頃からよく言われていた事は
「いつかチビも結婚して妻になって
そして母親になる時が来るだろうけど、
1つでいいから「チビ」という一人の人間としての
一生続けられる好きな事をみつけなさい。
女でもなく、妻でもなく、母親でもない
一人の人間としての、誇れるブランドを持ちなさい」
そう言われて私は育った。
私の中でずっとその言葉が残っていて
ある時、ふとした事から
一生続けられそうな宝物を見つけた。
そして今私は母親と同じように
女でもなく、○○さんの奥さんでもない、
一人の人間としての「チビ」としての成長に賭けている。
私はずっと母親を見てきたし、
母親の手伝いもずっとしてきたし、
だからやっぱり私は普通の母親にはなれないんだと思う。
私は私を貫くんだと思う。
子供ができて、洗濯して、掃除して
お昼のワイドショーを見て、夕飯の買物に行って
子供が学校から帰る頃には
おいしいケーキが焼きあがっていて。
そういうごくごく普通の母親には
なれないんだと思う。
きっと母親のような母親になるんだと思う。
結婚して自分の部屋が欲しいとオットに言った時から
もう私は「宝物」を作る準備をしていたんだろうな。
もちろん無意識に。
だって皆に「旦那の書斎ってよく聞く話だけど
妻の書斎って聞いた事ない!それってアリなの?
ヒデ、そんなんでいいの?」
と言われるものー苦笑。
そして優しい優しいオットを選んだ私。
それももしかしたら私はオットの条件として
誰にも邪魔されずに自分の道を選ばせてくれるような
相手を無意識に選んでたのかもしれない。
ヒデなら、他の男よりはまだ柔軟性があるから
私が自分の道を作る事を反対しない
と判断して、結婚を決めたのかもしれないなぁ。
こんな勝手な考えをしてる事自体
やっぱり私は芸術家(風変わりでワガママ)の娘なんだ、
と思う。笑
母親は私の尊敬する人。
そして顔がそっくりな私。
わがままで気が強い所もそっくりな私。
私の母親は芸術家。
女であり、妻であり、親であり、
そして自分の夢さえ実現させてしまう強力な女。
結婚した後、私の幼稚園の送り迎えの間に
暇つぶしのつもりと始めた趣味が高じて本気になり
10年経った頃プロになった。
全国的に知られてるプロではないけど、
常連さんは少なからずいて、
すごく儲かってる訳ではないけど、
発注は常に途切れなくて休む暇がないほど。
でも今の成功という結果は、
父の考えられない程の大きな協力が
なくちゃできなかった事。
私はそんな母親の背中を見て育った。
いつもパワフルな母親。
40代で若い子に混じって学校に通った母親。
学校から帰ると台所にいる母親ではなく
汚い作業場で一生懸命動いてる母親を見て育った。
プロとしての顔を見せつつも
夕飯時にはちゃんと母親の顔に戻っている。
そして母親に小さい頃からよく言われていた事は
「いつかチビも結婚して妻になって
そして母親になる時が来るだろうけど、
1つでいいから「チビ」という一人の人間としての
一生続けられる好きな事をみつけなさい。
女でもなく、妻でもなく、母親でもない
一人の人間としての、誇れるブランドを持ちなさい」
そう言われて私は育った。
私の中でずっとその言葉が残っていて
ある時、ふとした事から
一生続けられそうな宝物を見つけた。
そして今私は母親と同じように
女でもなく、○○さんの奥さんでもない、
一人の人間としての「チビ」としての成長に賭けている。
私はずっと母親を見てきたし、
母親の手伝いもずっとしてきたし、
だからやっぱり私は普通の母親にはなれないんだと思う。
私は私を貫くんだと思う。
子供ができて、洗濯して、掃除して
お昼のワイドショーを見て、夕飯の買物に行って
子供が学校から帰る頃には
おいしいケーキが焼きあがっていて。
そういうごくごく普通の母親には
なれないんだと思う。
きっと母親のような母親になるんだと思う。
結婚して自分の部屋が欲しいとオットに言った時から
もう私は「宝物」を作る準備をしていたんだろうな。
もちろん無意識に。
だって皆に「旦那の書斎ってよく聞く話だけど
妻の書斎って聞いた事ない!それってアリなの?
ヒデ、そんなんでいいの?」
と言われるものー苦笑。
そして優しい優しいオットを選んだ私。
それももしかしたら私はオットの条件として
誰にも邪魔されずに自分の道を選ばせてくれるような
相手を無意識に選んでたのかもしれない。
ヒデなら、他の男よりはまだ柔軟性があるから
私が自分の道を作る事を反対しない
と判断して、結婚を決めたのかもしれないなぁ。
こんな勝手な考えをしてる事自体
やっぱり私は芸術家(風変わりでワガママ)の娘なんだ、
と思う。笑
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